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阿修羅について

宿命のライバル 荒ぶる阿修羅

 阿修羅の前身は古代インドの神「アスラ」で、その名はインド最古の聖典『リグ・ヴェーダ』(紀元前12世紀頃)に記されています。「アスラ」は生気や気力を意味する言葉で、激しく戦闘的な神でした。
 阿修羅には美しい娘がいました。いずれ力の神・帝釈天のところに嫁がせようとしていましたが、あるとき帝釈天が阿修羅の意向を無視して、強引に娘を奪って行ってしまいます。これに怒った阿修羅は帝釈天に何度も戦いを挑みましたが、とうとう一度も勝つことが出来ませんでした。

争い、苦しむ 阿修羅の世界

 この神話が仏教に取り込まれ、人間が死後に行く世界である六道(地獄、餓鬼、畜生、阿修羅、人、天の世界)に含まれました。阿修羅の性格が災いし、阿修羅道に行く者は、常に争い、負け続ける世界に生きることになります。
 六道の考えは、『六道絵』に表現され、広まっていきました。阿修羅道の場面には、阿修羅が帝釈天と戦う姿が描かれています。この壮絶な争いから、激しい戦いの場のことを指す「修羅場」という言葉が生まれました。

仲間とともに登場!

 7世紀、阿修羅はほかの仏像と共にグループの一員として表されるようになりました。釈迦の説法を聞き、改心した阿修羅は「八部衆」と呼ばれる釈迦に教化された仏(もとは個別の神々)の一員になったのです。『法華経』では釈迦の説法を聞く者として登場し、仏陀や仏法の聴聞者あるいは守護神としての役割が与えられました。このほかに千手観音の眷属である二十八部衆の一員として表されることもあります。

お寺によって名前が異なることがありますが、基本的な八部衆(『法華経』より)はこちらです。もとは以下のような神でした。

165万人が詰めかけた 貴重な展示

 阿修羅といえば、展覧会を思い浮かべる人も多いのではないのでしょうか。2009年、興福寺創建1300年記念 「国宝 阿修羅展」が東京と九州の国立博物館で開催され、両会場で165万を超える人数を動員、同年の展覧会入場者数の世界一を記録しました。八部衆立像、十大弟子立像といった国宝が初めて寺の外で同時公開され、その中でも最も脚光を浴びたのがこちらの阿修羅像です。

古代インドのアスラは人間に似た姿だったが、仏教では多面多臂が一般的
・衣・・・裾(くん)と呼ばれる宝相華文の巻きスカート。宝相華とは、唐草文様の1種で空想上の理想の花
・足元・・・板金剛(いたこんごう)というサンダル
・台座・・・砂浜の形を模した州浜座

3つの顔が物語るもの

 阿修羅の3つの顔は、それぞれ異なる表情をしています。正面左の顔から右の顔、正面という順で見てみてください。はじめの顔から徐々に大人びていると思いませんか。その解釈には何通りかありますが、ひとつには少年の成長過程を表しています。発願者である光明皇后(701〜760)には、わずか1歳で亡くなった息子がいたのです。息子の成長を見たかったという親心が阿修羅像に反映されているのかもしれません。
 もうひとつは、仏に備わる仏性を表しています。顔の表情は、左から順に「忿怒」、「慈悲」、そして「悟り」を感じさせます。

対照的な腕を持つ 美しい本来の姿

 興福寺の阿修羅像といえば、美しく伸びる腕が特徴的です。現在の姿は明治時代に修理された後の姿で、修理以前は、第1手の右手前腕と第2手の左手ひじからが失われていました。最近の研究で、不自然な合掌をしている阿修羅が、もとは自然に合掌をしていたことが明らかになっています。
 また、以前は太陽を模した日輪(にちりん)と月を模した月輪(がちりん)を持っていたのではないか、という説があります。6世紀に描かれたと見られる中国・敦煌(とんこう)の莫高窟(ばっこうくつ)第249窟の阿修羅像をはじめとする作例は、日輪と月輪を高く掲げています。

参考文献
・奈良六大寺大観刊行会「興福寺」(『 奈良六大寺大観』第8巻)2000.9
・サライ編集部『サライの仏像の見方』小学館 2010.3
・北進一『アシュラブック』美術出版社 2012.12

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