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大威徳明王について

5人そろって悪と戦う! 正義のヒーロー、五大明王

 明王といえば不動明王がもっとも有名ですが、不動明王を中心とするグループ「五大明王」を知っていますか。不動明王・降三世明王(ごうざんぜみょうおう)・軍荼利明王(ぐんだりみょうおう)・金剛夜叉明王(こんごうやしゃみょうおう)・大威徳明王の5尊の仏の総称で、これは五智如来が衆生を正しい道に導くため、強い怒りの顔(忿怒相)に変身した姿です。五智如来というのは密教の仏の知恵を5尊の如来にあてはめたものです。五大明王は不動明王を中心に東西南北に配置され、悪い敵を降伏させてくれます。どの明王も独特な姿で、戦隊もののようなかっこよさがあります。

悪者をバタバタ倒す 力強い五大明王

 平安時代のはじめ頃、五大明王は国家鎮護のために造像されました。それが次第に造像の目的が長生きや敵の降伏(ごうぶく)といった個人的なものへと変化していったのです。降伏とは、悪人を取り除き、毒蛇や悪竜および怨敵を退散させることで、そのために五大明王は古くから戦勝の仏として信仰されてきました。
 中でも水牛に乗った大威徳明王は、平安時代末の院政期にあらゆる災難を取り除く修法の中心的存在として注目されるようになりました。

死神をも倒す存在、大威徳明王

 大威徳明王は、古代インドで“ヤマーンタカ”と呼ばれていました。これは「ヤマをも倒す」という意味です。ヤマとは、ヒンドゥー教の死の神です。
 5〜6世紀頃のインドは、ヒンドゥー教への信仰が非常に高まっていた時代でした。そのため、ヒンドゥー教の神々よりも仏教の仏たちのほうが優れていることを示す必要があったのです。7〜8世紀頃に生まれた大威徳明王はヤマの名を取り入れることによって、死の神をも支配する存在だと示されたのです。

聖なる水牛

 大威徳明王の大きな特徴のひとつは水牛に乗っていることです。水牛は田んぼの泥の中を自由に歩きまわる動物です。穢れに例えられる泥をものともしない水牛は、インドでは古くから宗教的な意義を持っていました。
 バラモン教の経典「ヴェーダ」には主神インドラの祖先が牛とあり、聖なる獣とされています。
 またインドに隣接しているチベットには、文殊菩薩が水牛の顔をした悪鬼を退治するために、大威徳明王の姿になって戦い、勝利したという伝説があります。

水牛に乗った明王、その特徴的な姿を見てみましょう。

 髪・・・炎髪(怒髪)

 印・・・壇陀印(だんだいん) 大威徳明王の根本印

 六面六臂六足・・・それぞれに以下のことを表す
  六面:六波羅蜜 (大乗仏教において、さとりを求める菩薩の6つの実践すべき項目)の成就
  六臂:六神通(6つの超人的な力)が具わる
  六足:六道(この世に生きる人びとが、死後に行く6つの世界)を歩き清める

 持物・・・剣や宝棒、三叉戟、弓、箭(矢)などの武器

 台座・・・水牛

    

 国東半島では、宇佐の八幡信仰と古代仏教とが融合した神仏習合の聖地として栄えてきました。平安時代、山岳信仰の修行場であったこの地に、天台宗が流入したことで、六郷満山(ろくごうまんざん)の文化が生まれました。「六郷」は、古代国東半島の来縄(くなわ)、田染(たしぶ)、安岐(あき)、武蔵(むさし)、国東(くにさき)、伊美(いみ)という6つの郷を指したものです。また「満山」とは山岳仏教寺院が使う言葉で、寺院の集合のことです。
 六郷満山は全盛期には、寺院数が65にものぼりました。その中でも最大の寺院が馬城山 伝乗寺(まきさんでんじょうじ)でした。伝乗寺自体は現在は消失してしまい、お堂のひとつだった真木大堂だけが現存しています。こちらには本尊阿弥陀如来座像、不動明王像、大威徳明王像、二童子立像、四天王立像の9体が安置され、当時の名残をとどめています。いずれも平安時代につくられた仏像で、特に大威徳明王は日本で一番の大きさを誇ります。

参考文献
・内田啓一『密教の美術 修法成就にこたえる仏たち』2008年4月 東京美術
・『仏像風土記 ~関西、四国、中国、九州 』2016年9月 ビジュアルだいわ文庫

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