弥勒菩薩について

 釈迦入滅から56億7千万年後に悟りを開き、衆生を救済するのが弥勒菩薩です。
 釈迦が悟りを開いて間もない頃、「慈しみから生まれたもの」という意味の名前を持つマイトレーヤ(弥勒)という人が弟子になりました。 マイトレーヤはすぐに説法の内容を理解し、釈迦の前に進み出て合掌しました。 そのとき釈迦は、「私がこの世で仏陀となる前、遥か上空にある兜率天(とそつてん)という場所で修行し、そこに住む天人たちに説法をしていた。貴方もそこで修行してきなさい。そしてこの世に戻り、私の教えに漏れた人びとを、私に代わって救いなさい」と言いました。 そうしてマイトレーヤは兜率天へ行き、弥勒菩薩となって修行をはじめます。
 56億7千万年という途方もない年月の修行の後、この世に降りてきて龍華樹(りゅうげじゅ)という木の下で悟りを開きます。 そして3回の大きな説法をし、282億人を救うのです。 これを「龍華三会(さんえ)」と言います。


世界に誇る微笑を湛える
中宮寺の弥勒さん

 中宮寺は聖徳太子が母 間人(はしひと)皇后のためにつくった日本最古の尼寺です。 その本尊が金堂にある国宝 菩薩半跏像です。 中宮寺の寺伝『中宮寺縁起』では、この像は如意輪観音として伝えられています。 しかし考えにふけるその姿は弥勒菩薩そのもの。一般に「中宮寺の弥勒さん」と呼ばれ親しまれています。

 また、この菩薩半跏像は半跏思惟のポーズをした「考える像」として有名です。 口角を持ち上げてうっすらと笑みを浮かべている「アルカイックスマイル(古典的微笑)」の典型として高く評価され、エジプトのスフィンクス、レオナルド・ダ・ヴィンチ作のモナリザと並んで「世界三大微笑像」と呼ばれています。

考えに耽るポーズ 半跏思惟 「半跏思惟(はんかしゆい)」とは、下げた左足の上に右足を組み(半跏)、指先を頬にあてて思索にふける仏像のポーズのことです。 ガンダーラ彫刻の出家前の釈迦像がもとになっていて、中国や朝鮮、そして日本にもたらされました。
 このポーズは弥勒菩薩独特のもので、56億7千万年後にこの世へ降りた時、どのようにして私たちを救うかを考えている姿です。悟りと救済が約束された弥勒さんだからこそのポーズなんですね。


お団子ヘアーの「双髻弥勒」 中宮寺の半跏思惟像にみられる、丸く2つに結った髪型を双髻(そうけい)といいます。
弥勒菩薩は出家前の釈迦の姿で表されますが、当時の釈迦は王子であったため、髪を大きく結い、アクセサリーをつけていました。
 造像当時は煌びやかに彩られ、宝冠や腕・胸飾りなど華やかなアクセサリーを身に付けていた双髻弥勒も、永い年月を経て下地の漆だけの姿になっています。黒く艶やかな色合いが物静かな印象を与え、その微笑を引き立てています。


冠を戴く「宝冠弥勒」 広隆寺の弥勒菩薩は頭に宝冠があることから別名「宝冠弥勒」と呼ばれています。
 「宝冠弥勒」は、資財の歴史目録『広隆寺資財交替実録帳』(890年)にある「聖徳太子本願の像である弥勒菩薩像」のことだと考えられています。 造像当時は金箔が貼られ、胸飾りや天衣もある華やかな像でした。

 昭和33年に広隆寺の弥勒菩薩像の指が学生によって折られるという事件がありました。
 当時の新聞によると、右手の薬指が第一関節あたりから折られ、3つの破片になっているのを案内人が見つけたそうです。 学生は「有名な弥勒さんに頬ずりしたことを友人に自慢するつもりだった。なぜ像にふれようとしたのか、あの時の心理は説明できない」と語ったとか。
 折られてしまった指はその後きれいに修復され、今ではどこが破損したのかも分からないほどです。


いつ助けてもらう?
死後でしょ! 
 弥勒菩薩には大きく分けて2つの信仰があります。
 一つは「下生(げしょう)信仰」で、56億7千万年後に弥勒菩薩がこの世に降りて来た(=下生)時に、三度の説法を聞いて救われようというもの。
 そしてもう一つは「上生(じょうしょう)信仰」。 下生まで待てない! だから死んだらすぐに弥勒さんが修行をしている兜率天(下記参照)へ往生し、56億年間弥勒さんと一緒に過ごし、それから説法を聞こうというもの。 日本では民間信仰として一般的に下生信仰のほうが広まったようですが、その後に生前から極楽への往生が約束される阿弥陀浄土信仰が出てきたために、弥勒信仰は衰退していくことになります。


七宝の宮殿が 黄金に輝く兜率天


 弥勒菩薩が修行をしている兜率天は須弥山(しゅみせん)の上空にあり、無数の天人たちが住んでいます。 七宝でできた宮殿は内院と外院に分かれていて、弥勒菩薩は内院に住んで修行を重ねています。
 天人の身長は2里(約8km)。寿命は4000歳ですが、兜率天の1日は人間界の400年にあたり、人に換算すると5億7600万歳です。これが転じて弥勒の下生までの時間が56億7千万年となったとも言われます。
 弥勒菩薩が下生すると、この世は金色になって兜率天のようになると言います。


インドから日本へ
半跏思惟像の伝来


 インドに起源を持つ釈迦の半跏思惟像。 その姿は5世紀頃には中国へと伝わり、「太子思惟像」、または特定の名前を持たない菩薩として礼拝されました。 例えば、現在の山西省にある雲崗石窟にはたくさんの思惟像があります。 これは弥勒菩薩ではありませんが、その姿は間違いなく馴染み深い弥勒さんのものです。 今日、中国で「弥勒菩薩」と言えば布袋さんのこと。 布袋さんは弥勒菩薩の化身であると考えられるようになったのです。
 朝鮮半島には日本の弥勒菩薩の直接の原型とも言える像が残されています。 韓国の国宝78号 半跏思惟像は国宝 菩薩半跏像とともに少しふっくらとした面持ちが美しい像で、2016年6月には上野の東京国立博物館で特別に展示されました。


参考文献
・伊東史朗「弥勒像」(『日本の美術』第316号) 1992年9月 至文堂
・小川光三ほか「弥勒菩薩」(めだかの本『魅惑の仏像』)2000年11月 毎日新聞社
・小川光三ほか「如意輪観音」(『魅惑の仏像』27)1996年10月 毎日新聞社
・大西修也『国宝第一号 広隆寺の弥勒菩薩はどこから来たのか? ―日本の仏像の謎』2011年5月 静山社
・大森義成『如来と菩薩 ご利益・功徳事典』 2011年10月 学研

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