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孔雀明王について

明王なのに菩薩顔!?
孔雀の立身出世ストーリー

 毒虫や毒蛇の多いインドでは、それらを捕らえて栄養にする孔雀に一種の霊力が備わっていると考えられ、古くから災いをはらう吉鳥として尊重されてきました。また孔雀は、雨季が始まる6月の初め頃に発情期を迎え甲高い声で鳴くことから、作物の成長を促す恵みの雨をもたらすありがたい鳥とされ、やがて女性神として崇拝されるようになりました。
 このインドの精霊神が5世紀後半には仏教の尊格である明王に取り込まれ、世の中の煩悩やけがれを食べ尽くし、人びとを救う仏として活躍するようになったのが孔雀明王です。
 女性神から発展してきた歴史があるため、一般的に忿怒相をして武器を持つ男性的なイメージの明王の中にあって唯一、穏やかな菩薩相で武器を持たないのが孔雀明王の特徴です。


約1200年前から続く、日本の孔雀明王信仰

 孔雀明王は正統な密教が日本に伝来する大同元(806)年には既に知られていました。伝説では飛鳥〜白鳳時代に生きた修験道の祖 役行者(えんのぎょうじゃ)も信仰していたとされ、『日本霊異記』には「数々の欲望に満ちた人間世界を超脱して、孔雀経の呪法をつかって、不思議な験力を示す仙術を身につけることができた」と記されています。
 奈良時代に創建された西大寺の薬師金堂に孔雀明王像が安置されていたことが『西大寺資財流記帳』からわかっているほか、平安中期から後期にかけては国家安泰、天皇の健康、后妃の安産祈願のために、貴族たちの間でも盛んに信仰されるようになりました。東京国立博物館所蔵の有名な仏画、国宝「孔雀明王像」は平安時代に制作されたものです。


毒を甘露に変える功徳

 孔雀が毒虫や毒蛇を好んで食べることから、あらゆる悩みや苦しみを取り除く功徳があるとされる孔雀明王。しかし「イスム 孔雀明王」のモデル像を所蔵する奈良 正暦寺のご住職は、単に悩みや苦しみを取り除くのではなく、それを取り込み克服することで、ひと回り大きな人間へと生まれ変われるよう導くのが孔雀明王であると説き、「毒を甘露(福徳・智慧)に変える」というお言葉で表してくださいました。辛い経験を克服し人を強くする手助けをしてくれる、頼もしい明王なのです。
ご真言:オン マユラ キランディ ソワカ


比較! 現存する孔雀明王像

 経典『大孔雀明王画像壇場儀軌(だんじょうぎき)』では孔雀明王の姿について、白蓮華(びゃくれんげ)に結跏趺坐という足を組む座り方、穏やかな顔の4本腕の像と決めています。仏画では東京国立博物館所蔵の国宝「孔雀明王像」、仏像では和歌山・金剛峯寺所蔵の快慶作「孔雀明王像」がよく知られていて、孔雀明王像と聞いて皆さんがまず連想するのはこちらの像かもしれませんね。
 正暦寺と金剛峯寺の「孔雀明王像」は、いずれも孔雀の背に菩薩相の明王が乗る像容は同じですが、持物や彩色などに違いがあります。ちょっと見比べてみましょう。

 金剛峯寺の孔雀明王は、正暦寺像も持つ吉祥果のほかに倶縁果(ぐえんか)という柑橘類に似た果実を持ちます。これには増益のご利益があります。また体の色は、正暦寺像が金色であったのに対し、金剛峯寺像は淡紅色で、着衣は彩色の上に截金文様が施されています。


瀕死のお坊さんを救った 孔雀明王の呪文

 経典『仏母大孔雀明王経』によると、孔雀明王の呪文である陀羅尼(だらに)は魔よけや傷の手当てに効くばかりではなく、さまざまな病気平癒にも効果があるほか、天変地異・雨乞いや止雨の祈祷などあらゆることに効き目があるとされています。また経典には次のような伝説が載っています。
 釈迦が舎衛城(しゃえいじょう)という場所の林の中にいたとき、その近くに出家して間もないお坊さんがいました。彼は他の弟子たちのために薪を割り、体を洗って清める準備をしていたのです。すると木のうしろから1匹の毒蛇が現れ、お坊さんの足を噛みました。たちまち悶絶し苦しむお坊さんの姿を見た弟子が救う方法を釈迦に尋ねたところ、釈迦は孔雀明王の陀羅尼を教え、これを心にとめることでお坊さんは救われたといいます。
 孔雀明王の陀羅尼は、一切の毒、恐れ、悩みを滅し、信じるものに安楽を与えるものであると釈迦は説いたのです。


巨額の維持費200億円!!
いまに栄華を伝える僧坊酒

 正暦3(992)年、紫式部や清少納言の時代に在位していた一条天皇の勅命を受けて創建されたと伝わる名刹、正暦寺。創建当初は堂塔、伽藍を中心に86坊の塔頭が建ち並ぶ巨大寺院で、平安時代の年間予算は現在の価値で約200 億円だったと言われています。その維持費を捻出するため米や味噌を売り、さらには本尊が薬師如来であったために薬も売っていたとのこと。なんと正暦寺の山には薬草が220 種類もあったそうです。
 またお寺が中国文化を継承していたことから、製法が紹興酒とそっくりな「菩提泉」という最も上質で高級とされた僧坊酒を醸造し、その売上の一部を幕府や興福寺へ納めたという記録も残されています。酒造りは江戸時代に一旦途絶えましたが、1999年、県内の蔵元らによる研究会が正暦寺の酒母「菩提酛(ぼだいもと)」を復活し、毎年1月に境内で仕込みが行われるようになりました。その酒母で県内の各蔵元が醸した清酒は、正暦寺福寿院で販売されています。


歴史の荒波を経て残る、菩提山真言宗大本山 正暦寺

 奈良市の東南、菩提山町という郊外の山間にある正暦寺。多い時には120坊もの塔頭を抱える大寺院でしたが、冶承四(1180)年の南都焼き討ちのほか、幾度も兵火や不審火にさらされました。建保六(1218)年には法相宗の学問所として再興し昔に勝る隆盛を極めましたが、江戸時代以降は衰退し、現在は国の重要文化財に指定されている福寿院の客殿と大正時代に再建された本堂、鐘楼のみが残っています。
 紅葉が鮮やかなことから「錦の里」と呼ばれ、シーズン中は参道に大渋滞が起こるほど参拝客が押し寄せます。また日本の清酒発祥の地として歴史的に貴重な側面を持っています。


参考文献
・山本勉 「運慶・快慶と中世寺院」 (『日本美術全集』7巻) 小学館
・加須屋誠・大塚伸夫「第二部よく知られている明王」 (『大法輪』2014年9月号) 大法輪閣
・『明王像のすべて』 判佝納

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