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運慶,砲弔い

日本で一番有名な仏師のうちのひとり、運慶。現存する運慶仏は決して多くありませんが、それまでの平安様式を発展させ、その後の仏師たちにも多大なる影響を与えました。
 今回のDiscoverでは3回に分けて運慶の人生と遺した作品をひも解いていきましょう。

明らかになっていない運慶の誕生日

 日本の彫刻史に輝かしい名前を残す運慶ですが、彼についての史料はほとんど残っていません。いつ生まれたかもわかっていないのですが、承安3(1173)年に長男・湛慶(たんけい)が生まれたという記録があることから、平安時代末期の1150年代の前半に生まれたのではないかと見られています。

天才の父・康慶

平等院鳳凰堂の阿弥陀如来像を造った定朝(じょうちょう)の流れを汲み、興福寺を本拠地とした奈良仏師。これに属する康慶(こうけい)という人が運慶の父親です。康慶は当時の棟梁だった康助(こうじょ)に奈良仏師への入門を依頼、息子・康朝(こうちょう)の弟子となりました。その後、腕を見込まれて奈良仏師の棟梁となったのです。康助・康朝との血縁関係も指摘されていて、若いうちから単独で造像を行っていました。
 康慶の代表作には、興福寺南円堂の不空羂索観音(国宝・下図)や法相六祖像(国宝)などがあります。

運慶の鮮烈なデビュー 円成寺大日如来像

 長男・湛慶が生まれてから3年後の安元2(1176)年10月19日、運慶は円成寺(奈良) 大日如来坐像を完成させました。これは運慶のデビュー作と見られており、おそらく20代の頃の作品です。

国宝
木造大日如来坐像〈運慶作〉
安元2年(1176)
木造 ヒノキ
像高98.8cm

銅製装身具である宝冠および瓔珞の一部が後補です。
光背の二重円相部と光脚、台座蓮肉および蓮弁の過半は造像当初のものが残っています。
台座の天板に書かれた墨書銘には、仏師自らが署名したことがわかる最初の銘文が記されています。

【 銘文 】
運慶承安永元年(1175)十一月廿四日始之
給料物上品八丈絹肆拾参(四十三)疋也
已上御身料也
奉渡安元弐年丙申十月十九日
大仏師康慶
実弟子運慶(花押)

この銘文から、運慶が安元(1175)年11月24日から造りはじめ、翌年の10月19日に完成したことがわかっています。この像と同じ程度の大きさの像は、通常3ヶ月ほどで完成するのに対し、運慶は約11ヶ月かけて入念に造られました。
また銘文の「大仏師康慶実弟子運慶」は「康慶の弟子であり実子である運慶」と理解され、若き運慶が父の指導のもと他の仏師の力を借りず、独力で製作したものと考えられています。

日本美術最高の値がついた運慶仏

 円成寺像の後に造られた運慶の大日如来像は2点現存しており、光得寺(栃木県)と真如苑(東京都)が所蔵しています。最近大きな話題になったのが、真如苑の大日如来坐像(重文)です。
 この像は平成15(2003)年に当時の所有者が東京国立博物館に勤務していた山本勉氏に調査を依頼し、運慶の真作である可能性がきわめて高いと結論づけられた作品でした。そして、その頃同博物館の平常展で像が公開されたのです。
その後、平成20(2008)年3月18日にニューヨークのオークションに出品され海外流出寸前だったこの像は、最終的に宗教法人・真如苑が三越を通じて総額1437.7万ドル(約14億4000万円)で落札しました。これは日本の美術品としては過去最高額*で、仏像としても世界最高となる金額です。現在は東京・千代田区にある半蔵門ミュージアムに安置されています。(*現代美術作品を除く)

「Discover the 運慶」の続きはこちらからご覧いただけます。
Discover the 運慶△呂海舛

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