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毘沙門天について

武将にも愛された 四天王の1尊

 武人の姿をしており、七福神の1尊として知られている毘沙門天。実は、四天王の内の多聞天が独尊であらわされたときの名前を毘沙門天といいます。そのため、多聞天と同じく帝釈天のもとで北方を守護しています。
 またインドでは財宝神のクベーラと同一視されていたため、財宝福徳をもたらすと考えられています。さらに、敵を退散させ国土鎮護や武運の神として、多くの武将に信仰されてきました。

謙信の念持仏 泥足毘沙門天

 武運の神様である毘沙門天を信仰していた有名な武将の1人が上杉謙信です。自らを毘沙門天の生まれ変わりと信じていたほど熱心に信仰していました。
 謙信が日々祈願していた像は「泥足毘沙門天」と呼ばれています。戦から帰ったあるとき、仏像を安置している壇上から外に向かって、毘沙門天の泥の足跡が点々と残されていました。これは「謙信の戦陣まで毘沙門天が出向き、加勢した」と考えられ、それ以来、上杉家ではこの毘沙門天像に「泥足」をつけて「泥足毘沙門天」と呼ぶようになったのです。

毘沙門天像の最も有名な彫刻作品の1つである願成就院の毘沙門天を見てみましょう。

持物・・・宝塔、戟
台座・・・邪鬼
服装・・・魔をよせつけないために甲冑を身につけている

北条氏が信仰した 運慶の毘沙門天

 願成就院の毘沙門天像は、有名な天才仏師 運慶(?〜1223)が造ったものです。毘沙門天像のほか本尊の阿弥陀如来をはじめとする仏像5体が銘札によって運慶の作であると判明しています。運慶が源頼朝の義父・北条時政からの依頼で制作したのは平家滅亡の翌年、文治2年(1186)のことでした。
 願成就院は北条時政が奥州藤原氏の討伐を祈願して建立した寺といわれ、東北地方の奥州藤原氏を討つために北方の守護神・毘沙門天の力を借りたのです。

平安京の守護神

 変わった毘沙門天として、兜跋(とばつ)毘沙門天があります。唐代後期に西域から中国にかけて広く展開したこの像は、入唐僧によって日本へ伝えられました。日本では平安京の守護神として正門の羅生門に安置された特殊な姿の毘沙門天が、兜跋毘沙門天として広がりました。その像は、足下に地天女や尼藍婆(にらんば)・毘藍婆(びらんば)の2鬼を従えています。

参考文献
・山本勉「運慶・快慶と中世寺院」(『日本美術全集』7) 小学館 2014.1
・信貴山千手院『一目でわかる 毘沙門天信仰の手引き』国書刊行会 2009.12
・松浦正昭「毘沙門天像」(『日本の美術』No.315)至文堂 1992.8

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