仏像フィギュアのイスムウェブショップ"

 

風神雷神について


神だけどオニ? オニ出身の2人

  「風神」 と 「雷神」、どちらも親しみのある神さまで、風邪薬のパッケージ、ドリフターズのコントなど、わたしたちの生活の中でもその姿をよく見かけますね。 ゴロピカドン、なんて3人組のなつかしキャラクターもいました。
 そんな愛されキャラのお二方ですが、実は祟りをもたらす恐ろしいオニだったりしたのです。 よく見ると、おや、やっぱり色いろと人間と違うところがあるようです。
 2人とも足の指は2本、手の指は風神が4本、雷神が3本になっています。 これは中国でオニを表す特徴的な表現。 それにキバをむきだしにしていかにも恐ろしい風貌をしていますよね。ツノはないけれど、やっぱりオニなんです。
 昔の人びとは自然現象のような人間の力のおよばない現象などを、霊やオニなどの仕業だと考えていました。 だから風神・雷神もオニとして表されているんですね。


おばあさんや鳥の姿をしていたあの頃

 仏教は、インドから中国、朝鮮半島を経て日本にやってきました。 だから仏像の歴史をたどると古代インドの神がもとになっていることがほとんど。 風神・雷神も古代インドの神が起源とされます。 風神は富を授ける神、雷神は水の神で、このときは関係の無い別べつの神でしたが、中国で鬼形の対の姿になりました。
 それとは別に、中国神話の 『山海経(せんがいきょう)』 に登場する雷公(らいこう)や、 小説集 『捜神記(そうじんき)』 に登場する風伯(ふうはく)という神がもとになったという説もあります。 この神たちは現在の風神・雷神とは全く違った姿をしているんです。 雷公はくちばしと翼がある鳥の妖怪のような姿、風伯は頭巾をかぶり風を操るおばあさんの姿で、どちらも天からの災いをもたらす存在でした。 時代によって色んな姿をしていて、その変遷を調べてみてもおもしろいかもしれません。


日本で神になったオニ

 日本で最初に雷神が登場したのは、8世紀の 『日本書紀』 の神代記(じんだいき) 。 7世紀後半から8世紀の 『万葉集』 では 「鳴神(なるかみ)」 という名前で和歌に登場します。
 さらに13世紀の 『北野天神縁起絵巻(きたのてんじんえんぎえまき)』では菅原道真 (845〜903) の怨霊として描かれています。 復讐心にかられた道真が、 雷を落とす怨霊と化したという伝説のシーンです。 怨霊というのは、 なんとも怖いイメージですよね。
 しかし雷神はそののち、 五穀豊穣の神としての役割を持つようになります。 そのような神となったのは、 自然現象としての雷の役目が関係しています。雷が雨とともにやってくることによって農作物の育成に繋がるため、 豊かな実りの神となったのです。
 一方風神は、 日本神話に登場する風の神・志那都比古(しなつひこ)と同一視されるようになりました。 強烈な風で作物に被害を与え 、ときには多くの人命を奪う神でしたが、 のちに暴風を鎮める自然神の一尊として祀られるようになりました。
 こうして風神・雷神とも、 鬼の悪いイメージも怨霊の怖いイメージも薄れ、 良いイメージが定着していきました。


国宝 木造 風神・雷神像のおはなし
―三十三間堂の仏像たち

 風神・雷神の立体彫刻で国宝指定されているのは、京都・三十三間堂(蓮華王院)所蔵の対の像だけです。
 三十三間堂といえば、 千体ズラリと並んだ千手観音像。 その中に一つは自分にそっくりのお顔があるなんて言われています。 千手観音たちの前には二十八部衆という千手観音の家来と、 この風神・雷神像が並んでいます。 二十八部衆は千手観音にしたがい仏教とその信者を守ります。
 平安〜鎌倉時代にかけて、 千手観音像と二十八部衆を描いた仏画が流行しました。その中で風神・雷神は二十八部衆とともに描かれ、 合わせて三十の家来となりました。一方、 千手観音制作の決まりごとが書かれた経典(儀軌)によると、 二十八部衆のうちの一尊が風神・雷神になったという見方もあります。
 三十三間堂では二十八部衆とは別に風神・雷神像が造られ、 共にいちばん端を守護しています。 千手観音像だけでなく、 この三十の像にも注目してみてください。
 次のページではこの風神・雷神像の像容をじっくり見てみましょう。

所蔵 : 蓮華王院 本堂 通称「三十三間堂」として親しまれています。 「三十三」という数字は33の姿に変身する観音菩薩を表し、 それにちなんで堂の柱間も33に造られています。
 三十三間堂は端から端まで120メートルもあり、 「通し矢」という弓の競技を行う場所としても使われています。

雷神のパンクなヘアは
身長アップのため!?
 仏像の高さの基準で髪際高(はっさいこう)という言葉を聞いたことはありますか? 仏像は冠をかぶっていたり、光背がついていたりするので、身長を測るのが難しいのです。だから足元から髪の生え際までを髪際高という基準にして統一したのです。
 でも今は像のてっぺんまでを身長とする像高が使われることが多くなっています。雷神さんのツンツンヘアは、像高で測るときにはちょっと有利になっているんですね。


生みの親は運慶の息子?

 仏像好きに慶派仏師を知らない人はいないでしょう。 慶派にもたくさんの仏師がいますが、特に有名なのは運慶(うんけい)と快慶(かいけい)ですね。 運慶の父・康慶(こうけい)からはじまった慶派は、20人以上の仏師たちが名を連ね、 たくさんの名作を生み出しました。 その中で現在国宝指定をされているものはなんと50体を超えています(推定のものも含む)。これが慶派が国宝一家と呼ばれる所以です。
 三十三間堂の風神・雷神像は、 運慶の長男・湛慶(たんけい)の工房で造られたとされています。本人の作と断定はできませんが、 造像にかかわっていたことは間違いありません。
 湛慶は、 承安3 (1173) 年に生まれ、 84歳まで仏像の製作に携わりました。 三十三間堂の真ん中に座っている大きな千手観音像を見たことがありますか? 光背 (仏の後光を表す部分) にもたくさんの仏像がついたとても立派で美しい像です。 実はこの像も湛慶の作なんです。 三十三間堂の真ん中と両端の像が同一人物の制作だとしたらちょっとおもしろいですね。 それだけ彼が造像時に重用されていたのでしょう。
 ほかにも、 千体の千手観音のうち少なくとも9体と二十八部衆が湛慶工房とかかわっているとされます。 これらは彼の晩年期の作風で、 運慶に代表される鎌倉期の写実的な表現ではなく、 穏やかで優雅な平安時代のような特徴を持っています。父である運慶に影響を受けつつも、 どちらかというと運慶の兄弟子にあたる快慶に近い作風です。 風神・雷神の衣や雲は優美な造型で、 湛慶がかかわっていることがうかがえます。
 湛慶の名が初めて出現するのは、 建久9 (1198) 年の東寺南大門金剛力士像のうち西方吽形像で、 父・運慶と共に造像に携わりました。 さらに仁王像としては日本で一番有名とも言える東大寺南大門仁王像でも、 運慶らと共にこれを制作したことが知られています。 いずれも力強い像で、 これらの像を制作した経験はその後に制作された風神・雷神の肉体表現にも影響を与えているようです。


いつまでも輝きを失わない、特別な眼

 鎌倉時代の仏師たちは仏像を写実的に表現し、 信仰の対象としての美しさを追求しました。 そこで、 風神の像を例に仏像制作の技法を1つご紹介しましょう。

時代を超えてギラリと光る眼―玉眼(ぎょくがん)という手法
実物の風神・雷神像を見ると、 他の部分は退色して黒くなっているのに、 眼だけはキラキラと輝いているのが分かります。 これは、眼を彩色ではなく玉眼という手法を用いて造っているからなんです。
 玉眼というのは、 仏像の眼の部分をくりぬき、 そこに瞳を描いた水晶板を入れ込んで造る方法のこと。 平安時代の終わりごろから使われ始めたこの手法は、 人間の瞳のようなリアルさを仏像に与えました。 眼光鋭い眼は玉眼によって今もなおその輝きを失わず、 像に命を吹き込み続けているんですね。
 玉眼は先に水晶の板に黒目を描きますが、 さらに黒目に別の色で縁取りをし、 幾重にも色を入れることがあります。 風神の赤い眼と雷神の緑の眼は、 これによって造られているんです。


日本一有名な風神・雷神

 風神・雷神といえば、真っ先に屏風絵を思い浮かべる人も多いでしょう。 中でももっとも有名なのは、 俵屋宗達(たわらやそうたつ)作の国宝「風神雷神図屏風」。 これは三十三間堂の立体彫刻や 『北野天神縁起絵巻』の雷神を参考にしたといわれています。 立体が元祖、 絵のほうがその進化形だなんて、ちょっと逆のような気がしますね。
 「風神雷神図屏風」 は同じく宗達作である養源院の杉戸絵に描写が似ていて、 この2つは制作年代が近いと考えられています。 養源院と三十三間堂はご近所ということもあり、 風神・雷神像から何かしらの影響を受けていそうですね。

 宗達の屏風絵では、 風神の体が緑、 雷神の体が白で描かれており、 これは文殊菩薩が乗る青い獅子と普賢菩薩の乗る白い象を象徴しています。 雷神の頭にはハチマキが見えますが、 これは、普賢菩薩が乗る白い象のベルトを表しています。 こうしたことを知ると、 風神の牙は象の牙のようにも見えてくるから不思議です。 養源院の杉戸絵に描かれている白象と獅子との関連も気になるところ。 仏教モチーフの絵と像をくらべてみると新たな発見につながるかもしれません。


おわりに

 風神・雷神を知らない人はいないけれど、 実は私たちの暮らしから生まれてきた親しみやすい神さまなんですね。 「雷神社」 や 「風神社」 は日本のいたるところに造られています。 仏教と神道の世界を雲に乗って自在に駆け巡り、 ちょっと恐ろしいけどどこか可愛らしい風神と雷神。 みなさんも身近な風神・雷神をぜひさがしてみてください。

参考文献
・植村拓哉「湛慶様式の形成と展開をめぐる試論―湛慶周辺作例における造形的志向性への視座」(『佛教大学宗教文化ミュージアム研究紀要』8号)2012年 佛教大学宗教文化ミュージアム
・菅原信海「妙法院・三十三間堂」(『新版 古寺巡礼京都』18)2008年 淡交社
・水野敬三郎監修『カラー版 日本美術史』1991年 美術出版社(増補新装 2003年)
・村田靖子『もっと知りたい京都の仏像―地域別・沿線別案内』2007年 里文出版
・安村敏信「宗達・光琳と桂離宮(江戸時代供法廖福愼本美術全集』13号)2013年 小学館
・安村敏信「特集 日本美術の七不思議ベスト1 『風神雷神図』に見る 宗達のすべて」(『芸術新潮』2014年4月号) 2014年 新潮社
・山本勉「運慶・快慶と中世寺院(鎌倉・南北朝時代機法廖福愼本美術全集』7号)2014年小学館
・山本勉『仏像 日本仏像史講義』(『別冊太陽』40周年特別記念号)2013年 平凡社

仏像フィギュアのイSムショップのご利用方法早見表

ページトップへ

|お問合わせ | 特定商取引法表示 | プライバシーポリシー | よくあるお問い合わせ